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京町家作事組

連棟町家の改修:「市川屋珈琲」-東山区


 東山、五条通りの南に音羽越えの渋谷街道がつづれ折りに京の町へ降りた所がある。東大路馬町の交差点を西に渡り、次の角は鐘鋳町である。町名録を見ると、「大仏殿巨鐘鋳造炉鍛場ノ跡ナリ」とあり、この辺りは昔、音羽川の谷を利用して釜座の人達が、方広寺に残る大鐘を鋳たのであろうか?旧街道はこの辻で南北通りと交わる127°の広角をなし、その北東角に対象の町家は建っている。低い2連棟の厨子2階建てで、変則片入母屋屋根に2階西にムシコ窓、南側にガラス窓を切り、垂鼻のたれた西に傾いた状態で佇んでいた。小屋裏の御札入れの墨書から「文化三歳(1806年)」に建てられたとされる1列3室型の約210歳になる古家である。


既存外観
 この連棟町家は、隣は床屋に借家貸しし、裏に陶芸工房を持つ、店舗兼用住宅であったが、最大の特徴はその平面の形である。東側の間口2間半奥行き5間の居室部の西側は、トオリニワが道の角度に並行して造られた為、ハシリニワの入口が1間巾が奥で倍程に拡がり、不思議な5角形を形成している。にもかかわらず、火袋を見上げると側緊梁と丑梁が十字に交差し、見事な準棟纂冪(じゅんとうさんぺき)の小屋組が見られる。柱と束を縦横に貫く細い通り貫が直角ではない変則角で緊張感のみなぎる架構を実現している。今まで作事組が改修した200棟を超える町家にはなかったユニークな町家である。以前は陶芸の窯場として利用されたと思われるトオリニワには、湧水のある井戸があり、大きく開放された天窓からは陽光がまぶしくふりそそいでいた。

施主の要望
 町家改修の目的は、それまで陶芸家の孫にあたる施主夫妻が、1階だけに住居専用で住んでいたが町家改修にあたり、住居部分を2階に移し、1階を喫茶店に改装する事であった。「未だ空き家状態の床屋をしていた隣家はそのままにして、2連長屋の状態で雨漏り、傾き等傷みが激しい基礎的な部分を強くして住み易くして貰いたい」というのが、リクエストの内容であった。施主は某有名珈琲屋に勤める素晴らしい珈琲豆を煎る技術の持ち主である。打合せの時に工房で煎った豆を挽いて入れたくれた一杯の珈琲の味が素敵であった。その施主は、「カウンター席を一番大切な所にゆったりと作って欲しい」と要望された。

設計のポイント

カウンター
 通りからミセ、ダイドコ、オクノ間があり、そのさらに向う奥にはハナレの陶工房が存在した。前栽があったと思われる場所に工房の増築がされていて、オクノ間の縁側の先は、昼間から薄暗く空気がよどんでいた。昭和32年に増築確認申請がされていたが、その確認後に更に増床した為に、明るさが失われていた部分を、確認申請された登記簿面積に合わせて減築する事にした。そうしてオクノ間6帖を中心に厨房とカウンター席を作り、東の床の間、棚を背に、東南側をL型にカウンター席とした。主人は厨房内から表の客席を通して、店や通りを見ながらコーヒーを入れ接客をする。こうすると、南の通りの景観が店内に道行くパノラマを提供する事となり、店先のカウンターや中央の大卓席の景色も、店内に賑わいをもたらせる事となる。設計のポイントは、L型のコーナーを曲面に丸めた2枚の杉板である。限られた予算の中で、棟梁の大下尚平氏がわざわざ岐阜の材木市に出向き求めてきたものだ。巾60cm 長さ2m 厚6.5cmの2枚の厚板をうづくりにして、角を丸めて愛情を込めて組み立てた。そして縁側には、透明の古ガラス入りの框戸を通して、昔の前栽を再現した。小庭のメニューは、既存つくばいを再利用して、2種のモミジを立体的に植え、吉祥草と苔、ツワブキを添えた品のあるものに仕上がった。

町家の味わい
 施主のこだわりだった自家焙煎珈琲の味は素晴らしい成果があった。施主の御家族や知人達のやいたコーヒーカップとのコラボレーションの味わいもそれに加わる。この町家が古い陶芸工房の町並みから生まれた場所に根ざしている如く、店先の焼き物や展示物と共鳴する様な独特な店の雰囲気が開店した当初から、家に宿っている様に思われる。
 店主は場所に例えた3種のブレンドを自家製作し、客にふるまっている。どうか近隣の陶芸に携わる人々の憩いの場所として、末長く賑わって貰いたいものである。最後にトオリニワのタタキのワークショップに参加して貰った皆様に御礼申し上げます。

木下 龍一(京町家作事組理事長)

2016.3.1