昭和初期型の大店の改修ー室町上立売/Kb邸設計:末川協建築設計事務所/施工:辻工務店 助成を頂いた表の改修 祇園祭明けの7月下旬、丸一日かけて建物の調査と実測を行った。昭和の町家には土台が入り、そこが傷んでいることがほとんどなのだが、Kb邸では、ハシリニワの南側に不陸があるだけ、横架材が入っているものの倒れもなく、構造はすこぶる健全であった。 プラン策定のため、建築士でもある夫君に野帳の実測のコピーをお渡しし、打合せのための実測図の作成に向かった。果たして次回の打合せでは、夫君がシングルラインでプランを描いて来られ、すぐに提案図面と見積もりが出来る運びとなった。キッチンの位置ではご夫妻の意見が分かれていたが、日常生活の食事は離れのダイニングキッチンで行い、ハシリニワでのオクドやハシリの復元は、妻君の将来の夢として担保することとなった。 座敷から水廻り・離れを望む 実際の工事は、「町家・まちづくりファンド」の助成を前提に一年後を目処とし、十分な設計期間を頂けた。担当工務店には調査解体に入ってもらい、小屋裏の軸組の確認や、モルタル塗込めの中に隠された大屋根のカシキ、1階表庇の腕木や出桁の存在の確認を行った。想定通り1尺6寸のヒトミ梁も確認出来た。 果たして、昨年のお祭り明け、8月から工事着工となった。解体が済んだ時点での想定外は、表庇の板垂木が出桁から先で切られていたこと、その復旧のため、庇の屋根の葺直しが必要となった。また、ハシリニワの側柱の揚げ前では、胴差に化粧の一枚板が貼られており、その内側で蟻害の跡が見つかった。蟻害は横向きに広がり、ゲンカンニワの南東の通り柱の二方差しの仕口が駄目になっていた。大屋根の桁に至る通り柱の抜き替えと、二方の胴差の継ぎ直しが必要となった。しかしご夫妻には、信頼をもって追加工事の了解を頂けた。 昭和9年、主屋の築造時に、離れがそれまでに建っていた町家の古材で建てられていた。お話には伺っていたが実際に造作を解体すると、柱の至るところにエツリ穴やホゾ穴や貫の欠き込みが現れ、大変な埋め木の仕事になった。その納戸であった床下には土甕が埋まっていた。「昔のお便所の跡でしょう」などと嘯いていたが、妻君の叔母様の記憶によると、妻君の曽祖父が、銀行嫌いでお金を仕舞っていた甕だったそう。また、2階のオクの合板貼を剥がすと総ての柱に木摺の跡が現れた。築造時からモダンな美容室とするために、大壁造りの擬洋風の設えであったことが判る。いつもながらそれぞれの町家には、固有の歴史の跡が刻まれている。今回、真壁の寝室とするためにサンダーを掛けたが、柱の無数の釘穴が目立つばかり、この部屋だけは柱に古色塗りを施した。あとは、渡り縁の跳ね木に正体不明の変木が使われていた。最後に町家が建てられた時代にも、遊び心を持った職人がいたのだと感慨深く思われた。 竣工間近、今年の1月には、ご夫妻の20人以上の友人が、ハシリニワの三和土の仕上げを施工された。表の道路のミキサーから、夫君は甲斐甲斐しく材料運びに励まれた。新しい暮らしを始められる若いご夫妻の町家に、これからも沢山の人々が楽しく集われますよう祈念します。 1.2階で吹抜けを取り戻す・ 通し柱の抜替えと胴の継直し 元美容院であった新しい寝室 末川 協(作事組理事)
2015.3.1 |