隅切り町家の改修工事ーー北区・増田邸設計・冨家建築設計事務所/施工・アラキ工務店
西は佐井通り周辺、北は大宮通りやこの小山の周辺もそういった隅切りされた土地が多いところです。 敷地ゆとりがあれば、大塀造りや道路後退して建てれば、今まで通りに切妻平入りのアプローチで建てられていたのでしょうが、敷地いっぱいに建てなくてはならないような条件の土地には隅切りに合わせて斜めに壁を建てなくてはならなくなってしまいます。 壁のことだけならまだ難しくはないのですが、屋根の納まりが簡単にはいかなくなってしまいます。 斜めの部分の軒先と本来の軒先とを同じ寸法で始めて勾配を登らせていくと、寄棟屋根のようにはうまく勾配が合いません。この誤差をどのように埋めていくのか、「隅切り町家」の事例を沢山見ていくと試行錯誤の歴史が見えてきます。 軒先ラインをずらして屋根を掛けていくものや通常の切妻屋根の側面に小屋根を掛けているもの、破風を付けているものなど、間口の幅、斜め壁の部分の比率でその架け方なども変わってきます。その中でも増田邸の屋根の形状はこの試行錯誤の中でも後期のものになると考えられる特徴を持った興味深い町家です。 改修前の状態 現況を拝見したときは、内装は全て除却されたスケルトン状態でした。外装はそのほとんどがモルタル吹付塗装でおおわれており、2階正面開口部と軒裏に当初の意匠が残された状態で、何度か改修の手が入っていたことが伺えました。下屋も取り除き、改修型の看板建築になっていました。また外壁の一部を掘り込み、地域のお地蔵さまが祭られています。 何か店舗のような使われ方をしていたようで表の間は全て土間となっていました。続きの間も本来は床があったようですが、撤去し土間として使われていました。その奥には過去の改修工事で出来たと思われる下屋部の居室がありました。 間口2間半、奥行き6間半の規模で、一部2階建て。建築当初の間取りは主屋部で奥行3間半でその奥がどのような形であったのかは推測でしかないですが、お風呂便所棟があったのかもしれない。現状では敷地いっぱいに建物が建っているので今回の計画では減築も含めて検討することとした。 改修のポイント 看板建築になっているファサードについては復元していく方向では考えますが、より町家らしい意匠とするためにある程度は新たに意匠を考えました。 モルタル外壁を落とし過去の部材の傷を見ていくと軒先で建具を嵌める庇の形状だということがわかりました。建築当初から店舗使いであった可能性がさらに高まりましたが、今回はお住まいとして購入されましたので、より住居らしい意匠にすることにしました。 建物正面にあたる部分は町家らしい意匠で整えられましたが、妻面にあたる部分はケラバの出も少なく、また開口があり吹き降りのことを考えると木製建具では難しいと判断しました。外壁は焼杉板で仕上げます。 大壁状に建物を覆う形で保護する意匠となりました。ケラバ下の外壁上部に漆喰壁の部分を覗かせて、あまり重たい印象にならないような工夫も入れてみました。 内部は間取り検討の段階で悩んだ点が階段の位置でした。階段勾配を緩やかにしたいが、階段の距離が取れないという定番の悩みもありましたが、通り庭や押入といった部分がもともとしっかり作られていない構造でしたのでどの床を抜けば合理的か悩みました。時間をかけてかつての階段の痕跡を探したその位置が一番使い勝手の良い位置だとわかり、結局、元の位置へ作ることになりました。 オリジナルはよく考えられているなとあらためて感心しました。 複雑で特徴のある屋根の架け方、斜め壁の外壁、軒先ラインで建具を入れひとみ梁の下は開放され一ヶ所丸パイプの柱で2階を支えている構造はどれもが興味深いもので今回設計を担当させていただい事で町家に対する理解も深まりました。 今回の改修では増田氏はほぼ毎日のように現場を見学され改修の行程の一部始終をご覧になられました。三和土などはご一緒に叩かれ、工事にも参加されました。町家に対する好意と、自分の家に対する愛着を持たれた様子で、この建物の未来も明るいと感じます。 冨家裕久(京町家作事組理事)
2014.1.1 |