新町通の仕出屋をおばんざい料理店に─下京区・矢尾定
設計・アトリエRYO/施工・山内工務店
改修後ファサード
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食事処「矢尾定」は新町通綾小路上ル四条町東頬にある、元仕出屋の職住一体の町家である。棟札には施主佐々木定吉、大工池田初太郎、手伝吉川信太郎と昭和3年上棟の記録があった。依頼者である株式会社矢尾定社長、佐々木定寿氏の祖父である定吉氏が、現会長豊次氏の生まれた年に、下の町内から四条町に新しい町家を新築し引越したとの事で、ちょうど80歳になる家である。大工棟梁は祖母方の里である嵯峨の親戚筋らしく、そのためか用いた材木の木柄が大きく頑状に組まれている。表のヒトミ梁は36cm×12cm、大黒柱17.5cm×17.5cm、胴差30cm×11cm、桁36cm×12cmが架構されており、時代のせいか階高も1階3、3mと2階2、8mと背高くなっている。
平面形式は1列2室で、トオリニワの巾が一間半と広く構えられている。2階は改修後もほぼ変わらず、居室4室の間取りであるが、当初は表西側の押入内と裏縁側の2ヶ所に階段があり、2階座敷や物干台の上でたびたび町内の人々が宴会をしていたらしい。表の間では、会長の母上がいつも火鉢でヘギモチを焼いていたことや、家の細部、大船鉾町内の様子等鮮明に記憶されていて、昭和はじめ頃の思い出話をたくさんしていただいた。
◎改修のポイント
工事の内容はまとめると以下である。
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長年土間に水を撒いて使用されたので、主要柱や側柱の足元が腐朽していたのを、石を敷き込み根継ぎと土台の差し換えをして揚前する。 |
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特に当時既に市街地建築物法がかけられ、コンクリート布基礎と土台、側壁の中に2階の側梁と火打梁が施工されており、伝統工法の改修とは違って手続きが煩雑であった。まずコンクリート布基礎を10cm程高く増打ちし、その上にパッキングを載せて、桧土台12cm角を差し換えた上に、全ての管柱を根継ぎしてのせ直す。 |
(3) |
次に側壁で壁土の剥離した箇所を竹小舞を編み直して、荒壁をつけ、中塗を重ねて修復する。両隣が耐火建造物なので、防火的には安心感があったが、構造性と土壁の存在感を取り戻すため、土壁復元にこだわる。 |
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走りにわを厨房にするため、古い板金やタイルをはがし、軸組や土壁を修復した上で、硅カル板を貼りまわし、その上にステンレス板を圧着貼し、厨房設備を仕込む。 |
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表戸口が裏鬼門にあたったため、施主の希望に沿い乾側に入口を変える。通り正面に新しい門口柱と両袖壁を補強し、その中央部全面に平格子窓を建て込む。若い女性客が入りやすいように、格子窓に面してカウンター席を用意し、その前にバッタリ床机を付ける。 |
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2階へは、表の階段を土間より直接上に上げるため、奥より前にラセン状にかけ、勾配をゆるくし、階上に下足入を作る。2階の間取りはほぼ現状を守り、普段の営業には使用しない。 |
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客席はすでに落間の仕事場になっていた、2室とミセニワをあて、当時より使われていた白川石敷石を使い直して、タタキ土間に模様敷きにする。改修にあたった棟梁自らが敷石やかずら石の据付をしてくれたのが印象に残る。 |
(8) |
屋根裏に物干台を設置してから内部化された前栽をもう一度復活し、客席の背景と御手洗への道行に潤いを与えるように修景する。植物が育たないため、食文化に通じる石造物の古物を使って、ユニークな石庭を作庭する。
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大黒柱の根継 |
側壁の修復
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以上、約5ヶ月の工程を経て改修工事は順調に進んだが、施主の地域文化へのこだわりもあり、祇園祭やえびすさん、壬生の節分祭等の内部飾りのしつらいや、家具類の造り付け作業があり、普段の改修工事にないあわただしさがあったが、京町家ネットの皆様の暖かい支援もあり無事開店することとなった。お店の発展を心からお祈りする次第です。
木下龍一(作事組理事)
2009.1.1
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