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京町家作事組

小さな町家の憩いの宿 ──三条蹴上あずきやセム


設計・末川協建築設計事務所/施工・山内工務店


外観(改修後)
◎改修のポイント
三条大橋から東に向かう東海道は昭和の初めに京津電車の敷設により拡幅がなされ、北側の町並みにはその後の昭和初期型の町家が残る。粟田神社の鉾を守った氏子として14代目にあたる北村さんはもと造り酒屋の跡継ぎで、都ホテル向かい、蹴上の3軒の町家を守っている。その一軒は町家の宿「あずきや」として改修され、通信44号の「京町家再生の試み」に北村さんは若い女将として紹介されている。衣笠のTz邸のお施主から作事組のご紹介を頂き、もう一軒の借家の改修が実現した。
 間口一間半、奥行き五間の三室型、町家の規模としては最小である。隣にロジがあり、ガス燃料の普及後かトオリニワ、火袋がなく、ダイドコの床下に半間の小さなハシリの跡があった。かつての時計屋さんの名残で真鍮方立のショーウィンドーがある愛らしい町家であるが、傷みはそれほど可愛らしくなく、座敷の柱の沈下は14cm、棟付近の倒れも20cm近かった。大屋根の瓦のずれも詳細調査では限界と判断された。一方、現代的な改修はほとんど行われておらず、昭和2年の築造の形をそのままに留めていた。
 「あずきや」の別館としての利用を想定し、工事では元の水廻りにお風呂を設け、便所と洗面、小さな流しを部屋内に設けた。他は必要な構造改修と屋根の葺替え、葺直しであり、内外装のやり替えでは築造時の姿を守ることに努めた。床をめくると沈下の原因であった三条通拡幅の際の盛土の状況がわかり、床から1m近く下に地盤があった。水廻り棟を含め一気の揚げ前で、蟻害のあった柱にはすべて根継ぎを行った。歪み突きでは小屋裏で束を曳き、仮設の筋交いで戻りを止めた。大和天井の沈みでは2階床上で補強を行い、薄畳に取り替えた。襖をのぞく建具はすべてもとの町家にあったもの、女将が大切に残しておられたもの、山内工務店にあるストックで建て合わせた。工事中に京町家棟梁塾の実習を受け入れていただき、洗いの親方の指導ですべての建具を洗い直すことが出来た。

こそぎの仲間

小屋裏の歪み突き

一気の揚げ前

一階の座敷(改修後)

 女将は「あずきや」での接客の合間にも、大工に加わりながら再利用材の釘抜き、天井裏の掃除、天井の洗い、ベンガラ塗り、造付流しの柿渋塗り、障子の張替え、照明器具の製作、砂壁のこそぎに仲間と取組まれた。水を使わない丁寧なこそぎで多くの壁の中塗りがよみがえり、霧吹きと手で押さえるという気の遠くなる手間で土壁の肌を取り戻し、左官の親方の指導でクラックやチリ際を丹念に補修された。襖が入るまで何度も何度も木部の乾拭きを繰り返された。工事中より開業に向けて保健所、消防、指導課との折衝もご自身で行われ、畳が入ってからはお手持ちの家具を納得いくまで並べ替え、客人を迎える万全の準備をされた。遠方からの客人をありのままの町家に迎え入れ、もてなしねぎらう様子はビジネスを超えて、ご自身の町家を守る生き様と重なり、そのがんばり姿に大工親方以下、多くの職方がほだされて工事は進んだ。「立寄るものに安らぎを、立去るものに幸せを」の銘とおり、宿の原点を垣間見る。これも蛇足ながら別館の名称「セム」はブータン語でお豆さん、ないしはお嬢さん、ヒマラヤ帰りの設計担当にはうれしい限りである。
末川 協(作事組理事)
2007.7.1