移築された町家の継承 ──衣笠・Tk邸設計・末川協建築設計事務所/施工・山内工務店 ○改修のポイント Tk邸は、もともとは御池柳馬場にあった町家と言う。施主の先々代が譲り受けられ、竜安寺門前に移築された後に数奇屋が増築され、さらに染めのアトリエや中二階の屋根の折上げ、近年のリビングまでが加えられている。昭和19年の棟札から、移築は戦中の御池通での延焼防止策によったと考えられ、今回の改修は、建築統制下にも強い意志で残された町家を、再び施主が引き継ぎ、その意思を貫徹する取り組みと言える。工事範囲は建物全体の屋根の改修、町家部分の構造改修と内外装の改修であり、町家部分を単独の住居としても賃貸できる計画とした。
移築後に数奇屋風にされている町家の各部は260坪の庭ともはや一体であり、極力そのままに改修を行った。オモテの縁の持ち出しでは、すべて折れていた軒の天秤梁を取替え、横からの雨掛りに不備のあった後付の庇の幅を広げる手当てを行った。ミセニワでは、煤竹の竿縁天井は大和天井には戻さず、床はフローリングから畳敷きとして床下に通気口を設け、土間には戻さなかった。一方、その後の折々に手の入っていた町家の内装では、元の町家の姿を取り戻す改修を試みた。洋室にされていた座敷では畳と床(とこ)の板、縁の障子や欄間を新たに作り直し、クロスの張られたダイドコでは大和天井と板戸を復旧した。ハシリの合板の天井は落とし、中二階とつながる火袋を再現した。中二階の折上げは、施主と情報センターとも協議の上、賃貸上のメリットとして残し、内外の壁を左官で直し、越屋根に軒樋を設け、壁際の水切りを改めた。
もとの町家は明治期の平屋であったと考えられるが、移築の際、妻方向に基礎と土台が入り、通風を妨げ、衣笠山からの水気が多い敷地では、床組の腐朽をさらに進めた感がある。陸梁と火打も追加されていたが、ハシリの側壁は外に開いており、新規の側繋を追加した。母屋の継手が外れ、屋根面が陥没していた座敷の小屋組には、移築時に省かれていた登梁を入れ直した。西面の妻壁に塗られていたモルタルは剥離が進んでおり、撤去の上、焼杉板の下見貼で改修を行った。
2006.1.1 末川 協(作事組理事) |