ファサードを復元して、昔の町並みに! ──下京・Nt邸
設計・叶ン計事務所ゲンプラン/施工・(有)堀内工務店
○改修のポイント
作事組事務局から京都駅に向かって少し下がったところが、今回の改修現場であった。
約70年前、現当主の祖父が求められた。当初、3軒長屋の町家が並んでいましたが、数回に渡り改修を重ねられ、S40年ごろに2階の外壁が下屋の上に張り出す形の「パラペット施工」の姿に変わっていた。
高齢になられた、祖母とご子息家族の同居が改修のきっかけとなった。
「走り」部分は先の改修により、床は「かさ上げ」てあったが、老朽化が激しく、また浴室のある場所は狭く、段差だらけであり、トイレは「和式便器」のまま使用されていた。
今回の改修ポイントは「躯体の補強、補修」「揚げ前、いがみつき」「バリアフリー化(一部祖母の介護保険による公的制度適用)」「ファサードの復元」、他であった。
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Nt邸ファサード(改修前) |
Nt邸ファサード(改修後) |
解体が進むにつれ、水廻り箇所の腐食が激しく、また南側のモルタル壁の下地貫も雨漏の為、ほとんどが朽ちていた、結果南側の軸組、床組、屋根伏せ等の入れ替え、補修を行った。側外壁は「焼杉板」を張ったが、路地壁でもあり、防火対策として下地に「耐火ボード」を張った。
1階は全て床組改修、壁改修、天井は使用できるものは補修補強したが、台所の大和天井板が改修時に「薄板」に変わっていた為、取替えを行った。その結果、厚板が火打ちの役割を果たし、家の補強にも一役買っている。2階の表部分は全面改修、その他は壁塗り替え、畳補修、他建具調整である。
設備配管の給排水、ガス管は全て改修、電気配線も入れ替えを行った。
揚げ前は、連棟になっていたため隣家側を揚げるのに限界があり、中通の柱を下げる工法をとった。土間の土が軟らかく、ジャッキが土にのめり込こむ為、土を突き固め、その上に1昼夜ジャッキ掛けをしておき、自重による「地固め」を行った。予想以上に揚げ前の日数が掛かった。
既存トイレ建物は「根腐れ」や「間取り」の関係上一旦壊した。浴室、トイレ、脱衣は新設となったが、施主がモデルルームに行かれる度、浴室は少しずつ大きくなってゆき、少々庭がさびしくなった。
ハシリ下屋の化粧軒天(改修中) |
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揚げ前(改修中) |
流し(改修前) |
流しが表から裏まで
(通り抜け改修後) |
「トイレ」は位置的に3方壁にふさがれ、窓を取る事が出来ないため、天窓を取った。2重天井にしてあり、空間に照明器具を仕込み、昼は「自然光」、夜は「人工光」であるが、どちらもスリガラスごしに光が受けられる。換気扇も目立たないよう「木製ルーバー」を仕込んだ。流し場も玄関より裏まで通り、床は上っているものの、「走り」の復元であった。
杉の床板、漆喰の壁、杉の化粧軒天、肩肘張らない簡素な仕上げ。木の香りと一緒に風が通リ抜け、光も側窓や天窓より朝日がふんだんに差しこむ。台所に設置した「布袋さん」は来るものには微笑み、また守り神の様に奥の棚に鎮座している。
2階のファサードは、創建当時と同じ構えに復元した。南側の増築部分は現状のままとしたので、「完全復元」とまで行かないが、何とか納まった。
工事中の打ち合わせで、大きな屋根裏を「物入れに」という希望で、勾配天井ながら広い屋根裏部屋が出来、窓も取れ、イッパシの部屋となった。
復元した分、娘さんの部屋が狭くなり、屋根裏は娘さんが使用権を得た。
工事中、色々な人の往来があり、足を止め「どない、なるんや?」「Ntばぁさんは?」と気さくに声を掛けられ、また「昔はこうやった!」とか、懐かしむように話されていた。
家の再生は物理的なものだけではなく、地域の人の関係や記憶も再生することをここでも味わった。
ファサードの復元は作事組としてうれしい限りであるが、施主の町家に対する思い入れがあったことはいうまでもない。
2005.9.1
堀内 健(作事組理事)
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