• 京町家net ホーム
  • サイトマップ
  • アクセス・お問い合わせ
京町家作事組

オモテの間を揚げ前し水平に戻す …西陣千両ヶ辻・Fh邸


施工・熊倉工務店

可能な限り建築時の姿に戻したい
 今宮神社の祭礼は葵祭りと同じ5月15日である。軒先に幔幕を張り巡らして格子を外し欄干をはめる。ミセオク・ナカノマ・オクノマを開け放して屏風を立て廻す。そして表に高張り提灯を立てるとお通りを向える準備が出来たことになる。家の前を御神輿が通り剣鉾の鈴音が遠くなって行くとやがて夏がやってきた。町内の大半の家がベンガラ格子であった子供のころの町屋の家並みや風景が、そして風習までもがいつの間にかなくなってきている。
 我が家は西陣のほぼ中央にあり祖父はこの地で西陣織の袋物問屋を営んでいた。近所の家々は西陣関係の商家が多く今も西陣織問屋が点在し「千両ヶ辻」の名残りを垣間見ることができる。母親は晩年「私が十一の時にこの家が建ったんェ、商売がし易いように建替えはったんやけど、以前の家は坪庭があって住よかった」ともらしていたが、祖父母がこの家を大切にしていたのを見てか両親もこの家にとても愛着を持っていてにしふく(修復)していた。築百年に近いこの家は建築当時は電気もガスも入っていなかったから築後導入の様子が残っている。そして今はオクドさんの跡にガス台が乗り、ハシリと井戸の跡にはシステムキッチンが、五右衛門風呂はガス風呂にと近代化(?)されているが、ベンガラ格子・大戸・火袋・大黒・小黒・トオリニワ・大和天井等々、うなぎの寝床の京町家で商家の様子をよく残していると思っている。
 大屋根の葺替えや隣家の立替え工事を機に大壁の修理、庭雨戸のサッシュ化などの他、日常の手入れには十分気を配ってきたが、ここ数年特に表通りに面して柱の沈下が目視でも認められ、この付近で戸障子の立て付けの悪さが目立ちはじめた。
 京町家のホームページを見たのは全く偶然であった。京町家作事組の「相談申し込みフォーム」に所要事項を入力送信してメールを待つこと数日、事務局の松尾さんからメールが入った。「理事会で担当者を決めて近日中に伺う……云々……連絡を待つ……」とあったがいっそこちらからお伺いしてと新町通花屋町下るの事務局を尋ねることとした。
 私の希望は「可能な限り建築時の姿に戻したい」であった。実査から計画提案そして施工線表の掲示とそれらは「町家の専門家集団」としての自信と誇りを感じさせるものがあり満足すべきものであった。
 最近流行の町家ブームに乗ってこの家で何かをしようと云う訳でもなく、先祖から受け継いだ我が家をシンボルとして再生したい!! その計画提案を全面的に受け入れ施工を依頼した。

福原 亮二(施主)
外観(改修前)
  外観(改修後)

改修工事にあたって
表通りのカズラ石を据え直す
 前述、Fh様より建物の歴史、建物に対する強い思い入れやこだわりを聞かせて頂き、当初京町家作事組が相談を受けて梶山理事長が下見・調査にお伺いした際に作成した改修計画提案シートには、「丁寧に住まわれていて町家が生き生きしています。不同沈下以外は今すぐしなければならない手入れはないように思えますが、しいて言えば度々行われた手入れの仕方に相応しくない面が……」とあり、この点に対しFh様の「可能な限り建築時の姿に戻したい」という強い意志を感じつつ改修にあたりました。
 施工手順として、生活されながらの改修でしたので、まずオクノマ・ナカノマと揚げ前を行い復旧しておいて、順次表通りに面してのミセオク・ミセ・ミセニワの揚げ前にかかりました。表通りの基礎石はカズラ石のため同時に揚げる必要があり、ジャッキとして表通り部屋内に幅70pのベースコンクリート(鉄筋入)を打設、ジャッキ7台で同時に揚げてカズラ石を水平に据直しました。カズラ石据直し後、表・犬走りのモルタル塗をタタキ風洗い出しに改修、駒寄せの復元、表外部の2階アルミサッシュを見せないよう格子の取付、外塗リシン吹付を漆喰塗に修復、庇瓦葺替え、内部建具のガラス戸を障子付板戸に改修、各建具建合せ調整…等々、可能な限りの修復させて頂き、今まで以上に生き生きとした建物になりました
。いつまでも京町家のシンボルとして保存される事でしょう。
中西 勲(作事組理事)

オモテの間を一度にジャッキアップしている揚げ前の様子
外壁のモルタルリシンをはがし、漆喰下地に中塗りをほどこしているところ