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京町家再生研究会

大規模な構造改修──Mo邸

末川 協(再生研幹事)

内部

外観
 2012年の秋、新しく町家を購入されたご夫婦より建物を見に来てほしいとご相談を受けた。場所は下立売通りの猪熊の角、間口5間の2列3室型の立派な町家であった。但し近い10年のうちに徹底的に現代的な改修が施されていた。外壁はすべてモルタルとアルミサッシになり、正面2階の虫籠も合板に吹付けの仕上げに変わっていた。内部は2世帯住居として改装されており、1階の座敷を除き、壁と天井はボードとクロス貼に、床は複合フローリング貼になっていた。町家本来の構造の改変が顕著だった。1,2階、小屋組ともオモテ側の部屋はすべての菅柱、ササラ、登り梁が架け替わっていた。ハシリニワの側壁が1、2階とも取り払われ、火袋を床で塞いで1,2階ともダイニングキッチンに改装されていた。依頼者の妻君は火袋の吹き抜けを復活させたいとおっしゃったものの、側柱、側壁の復旧だけでも、かなりの大工事になる旨をお伝えした。しかし実現させるとなると、町家の軸組の新築に準じる工事、やりがいはありますとお伝えした。年内に一案の提示と、実際に改修された町家の見学にご案内した。

 年を越して、覚悟を決められたご夫妻に設計の委託を受けた。床下にもぐりこみ元の柱と1階の据え替えられた柱の状態を確認した。明治の大店の造りで1階座敷廻りの基礎は良好だった。2階の天井を破り、小屋組の調査も行なった。近年の改修で小黒柱と大黒柱の並びの通し柱が大壁の中で切られていることが分った。さらにそれ以前の改修で、2階に座敷を設ける際に、重量鉄骨で地棟が架け替えられていることが分った。大屋根は近年に葺き替えられており、オモテ側の小屋組を除く構造改修の範囲を決めた。ご夫妻は以前の家主に問い合わせをされ、改修前の間取図が頂けた。これが判断に大いに役に立った。

 ご夫妻は、町家に伴う助成事業のことも良く調べておられて、町家・まちづくりファンドへの応募をされることとなり、下立売通り側の正面、猪熊通り側の側面も伝統構法で復旧することとなった。床下に隠されていた井戸が埋められておらず、水質検査の結果も良好であった。場所がハシリニワからずれており、幕末に京都が焼ける前の井戸と思われる。井筒を復旧し、井戸を建物内から切り離して減築する案が決った。ご夫妻お二人の暮らしには十分の広さのある町家、プランの方向は多様にあったが、基本はもとの間取に戻すことで方針の確認を頂けた。2階にもコンパクトなキッチン、洗面、便所を設けた。14帖のミセノマは、将来ご夫妻のお嬢さんがステンドグラスの工房にされる余地となった。お茶を習われる夫君のご要望で1階座敷に炉を切り、水屋を設けることとなった。

 設計も内訳も大詰めの際に、妻君から火袋内に準棟簒冪の新設の要望がでた。間口1間半のトオリニワに架かる側繋ぎと牛梁の新設、町家の再生から再生産に向かう道中にある技術者として冥利に尽きる。

 果たして、2013年の夏に掛かり初め、若手の大工が鋭意工事にむかった。揚げ前根継の柱が18本、新設の柱が48本、土壁を下地から編みなおすこと200u超の構造改修に向かった。設計では断念していた大屋根の鉄骨の地棟の抜き替えを、屋根を降ろさずに勢いで成し遂げた。同様に2階オモテのササラも4本を 元の向きに入れ替えてくれた。準棟簒冪の新設では、1本ものの牛梁にこだわって運び込んだ松の丸太の古材がでか過ぎて、これは少し勢い余ったよう、別の丸太を運びなおした。木鼻の加工が残り、お寺の古材と思われる。まちの匠の技を活かした京都型耐震リフォーム事業の助成が得られ、構造改修の途中には京都市すまい耐震支援窓口のご担当方の見学もあった。

 応援に入った若手の数奇屋大工の手で、モルタル塗りの軒裏の中で切られていた北山丸太の化粧垂木の復旧をしてもらい、設計の不備を補ってもらえた。同様に水屋の道具棚や水切り棚、落し掛けでも設計の未熟を補ってくれた。新設の縁桁も北山の磨きで納めてくれた。

 施主のご夫妻はご多忙の中、毎週土曜日の定例にお越し頂き、工事の進捗と現場で決める事項を信頼を持ってスムーズに確認頂けた。ただ例によって工事は遅れ、半年前に決っていたお引越しの前日まで工事が続いた。最後の4日間は日付の代わる時間までベンガラを塗り、拭き取り、床の柿渋塗りが続いた。最後の定例打合せの後、ご夫妻がご近所の引越しの挨拶回りから戻られたときには、「皆さん、間にあわへんとおっしゃるんですけど」。それでも笑顔で信頼頂けた。果たして昨年末12月の28日に無事引渡しを果たす事が出来た。フルスペックの内外装に先立ち、大規模に改変された町家の構造を、元に戻す機会を頂けた施主ご夫妻に感謝します。

2014.5.1