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京町家再生研究会

職住一致の暮らしの再生・継承ーー光安邸・千本丸太町

末川 協(再生研幹事)

座敷

厨房
 2008年1月に町家再生の試みでご紹介した光安さんが、昨年末に千本丸太町近くの町家を購入され、再び日本料理店と住居に改修、この9月より新しいお店での営業を始められた。

 町家の間口は3間で一列四室型の明治期築造、4間半の渡り縁を介して奥に昭和初期に築造の離れが建つ。購入に先立つ調査では、元々連棟であった事が分り、同じ通り沿いにも、背面する下立売通りにも、同じプロポーションの町家と離れが残っており、街区丸ごとが表と奥で築造時期の異なる連棟の町家で占められていた事が想像できる。

 改修工事では主家の1階を日本料理店にされ、主家の2階と離れをご家族の住居にされた。従前の営業形態と同じ、オモテと座敷を一日二組限定の接客の場とされた。ただし、従前では内内1100のハシリニワにあった厨房を、ゲンカンとダイドコを合わせて広く設け、大胆にお客さんとの接点を広げられた。そのため、厨房の二方を囲うカウンターの幅や垂壁の高さ、お手持ちの水屋箪笥のビルトイン、ポータブルのオクドさん、桧貼の調理台など、厨房内のレイアウトや納まりにも徹底的にこだわられた。前回の改修をお手伝いした経緯もあり、光安さんの料理への妥協のない姿勢を折に触れ知る6年間があったから、そこらは担当大工とも端から覚悟の上、光安さんの思いを実現させるべく不届きもあったが、最後までお付き合いさせて頂いた。一方町家の本来の姿での接客と言う点では、設計に判断を頂けたように思い、こちらにもそれなりの6年間があったのかと思い返す。ともかく「後は自分が新しい厨房に慣れるだけです。」と覚悟を決めた光安さんである。接客の場の什器や建具や照明はもとのお店のものをほとんど移設され、前の店からのお馴染みさんにも懐かしいしつらえがよみがえった。

 再び特筆すべきは元のお店のご町内の井川建具さんとの信頼関係、ここは工務店も設計も入る余地が無く、必要な建具は、とことんまで光安さんが井川さんと相談され、ストックを念入りに検討された。改修工事で製作の建具は、現場で解体中に行方不明になった小窓を除くと、アルミサッシを取り払った住居部分の縁側のガラス戸だけで、その他すべて井川さんがお持ちの戦前の建具で建て合わせした。井川さんも慣れた様子で、時には思い強く勧められた建具もあるし、時にはほったらかしで光安さんに任せていたようだ。光安さんも井川さんをプレオープンにご招待されていたそうで、6年間の地域のつながりをうらやましく感じた次第である。

 新しいご縁では、前回セルフビルドされた座敷の前栽の作庭に庭師が入った。靴脱ぎ石を選びに出向いた光安さんの意気に感じて、プレオープンの2日前に大雨の中、庭を仕上げ、離れの住居側の庭まで仕上てしまった。この1ヶ月で青竹の色も落ち着き、正面を向いた山茶花の花が咲くのが待ち遠しい。これからもお出入りが続くことを願う。

 今回も、光安さんは自分で出来る工事は自分でと思っておられた。主家2階の住居部分の左官の仕上げを担当された。しかしこの夏の暑さでギブアップ、プレオープンの日が迫ってくるとそれどころではなく、「また稼ぎますから、そのときプロに任せます」と。料理人としてプロの自覚が、職の垣根を越えてプロの存在を認め、潔く後日工事に送られた。

 この夏の暑さと言えば尋常ではなく、想定外の構造改修の量に工事がだだ遅れ、疲れた職方達の様子を察し、真夏のお昼にうなぎを振舞って頂けた。奥さんとともにお給仕を頂き、2つ星のお昼ご飯が現場で頂ける得がたい機会となった。これも人をもてなし、料理で癒すプロの振る舞いと思い至った次第である。

 住居部分では、離れの一階にLDKを設け、ご家族の念願であったお風呂を設けた。町家での暮らし、地域に溶け込んで職住一致の暮らしを実現させてこられたが、早いもので息子さんは来年には受験生、下のお嬢さんも小学生半ばのお年頃、物理的な元の借家の規模や設備はいかんともしがたく、御所南のお店での成功から潔く離れ、持ち家での暮らしと生業にむけて再スタートを切られた。お引越しの直後から、お嬢さんの新しいご近所の友達やお兄さんの同級生が訪ねてこられる様子を見るにつけ、千本丸太町の新しい地域にも溶け込まれるのだろうと想像する。子達が接客空間を跨がずに気兼ねなくお友達を招き入れる様子を見ると、建具一枚で住居を区切っていた元のお店での覚悟も、ご家族含めたそこでの暮らしの実践にも頭が下がる思いだ。同時に町家を状況に応じて住み替えることも、町家のあるべき継承の形なのだと思われるし、町家の歴史もまたそうだろう。6年間お店の接客を支えた奥さんにも同じ町家の中にゆとりのスペースが出来たことを願う。

 ご近所に見守られながら、仕事をしながらも子達がすぐに声の掛けられるところにいること。そして息子さんとお嬢さんが、ご主人の仕事の姿とそれを手伝う奥さんの手伝う姿をいつも見ていること。京都都心の町家で独立を目指す目標を果たし、6年間で着実にステップアップされた。町家の再生とともに、職住一致の暮らしがここでも再生・継承されることを祈念します。

2013.11.1