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京町家再生研究会

町家でこれから13年  ―中京区・浜谷邸

末川 協(再生研幹事)
 岩上通の蛸薬師下ったところ、錦小路までの中ほどには今も通りの両側に町家が並ぶ。その町家の一つにお住まいの浜谷さんご一家をお訪ねした。
 3年前、それまでの大阪の会社の社宅住まいから、通勤圏内で伝統建築に住める場所を探されていた折に、妻君の京都での就職も決まり、この町家にめぐり会われた。初めて訪ねた時には、縁側や水廻りなど大家さんが改修を行う前で、不便そうではあったけれど「風情があっていいなあ」と軽い気持ちで入居を決め、京都に越されてきたそうだ。しかし実際に町家に暮らし始めて2年間、ご近所のお付き合いや息子さんの通うお寺の保育園でご縁も広がり、周辺の便利の良さと両側町の風情が残る環境の良さを実感するにつけ、次第に腹が据わり、息子さんの独立まで、家族が共に暮らすこれからの13年、ここで町家に住む決心を固められた。そして同時に、ご自分達で改修を行う決心も固められた。2007年の楽町楽家であちこちの町家を廻り、京町家作事組を訪ねられ、施工者が決まり、工事が実現した。大家さんの理解も有難く、マンションを借りてここまで手を入れられることはあり得ず、また工事の内容も喜んで頂き、費用の一部を負担して頂けたことも予想外の出来事で、よいご縁の連鎖だと感謝されている。
左官工事 
左官工事
前栽を楽しむ
前栽を楽しむ

 改修は、和室に戻す復元ではなく自分達の住みやすいように、ただし材料はすべて木材や土壁など純粋なものを使うことを大切にされ、プリント合板や複合フローリングを貼られ、暑くて寒い2階をもっと使えるようにすることが中心になった。覆いものをなくし、屋根の下地面での断熱に切り替え、丈の高い空間にロフトを設置された。「子どもの生活を中心したワンルーム型は今時の住宅メーカーのトレンドでもあるけれど、実際にその最先端は、再び町家に住むことかもしれない」と妻君は語っておられた。二階で息子さんと友達が走り回る音に、ダイドコでびっくりするお母さんもいるけれど逆の安心感もある。吹き抜けの中には北山の磨きの登り棒に加え、全天候型ブランコがあり、ご近所の三条商店街のロープ屋さんの取り付け、京都のお商売の徹底的な専門化には恐れ入ったという。押入で塞がれていた2階のゲンカンニワの窓も1階の中戸と同じく荒木棟梁の倉庫にあった古建具で建合せられた。古い時代にお座敷風にされていた二階のオモテはそのまま大事に残されている。
 不便が多いはずの改修工事中も、息子さんは保育園から帰って2階に直行、工事の進展を楽しみにロフトの足場に駆け上がり、実際の職方に出会い、工事のプロセスのすべてを知る楽しい毎日だったそうだ。ご家族全員で土壁塗りと漆喰塗りに励まれ、足場の要らない壁のすべてを仕上げられた。お座敷での漆喰壁も、床の間やお仏壇は元のまま、六畳を明るく広く見せている。

 ご本業で設計者である夫君は、階段手摺、ロフトの梯子、エアコンのカバーなどを玄人好みにデザインされている。ダイドコの生きた床板の伸縮も実感されながら、座敷の天井の低さ、ゲンカンニワから隣の大家さん宅へ抜ける板戸の名残、地棟の墨のうち間違い(?)、折りたたみ棟札など、この町家に固有の由来探しも楽しんでおられる。「町家に住み始めて休日出勤が減ったことは確かです」。規模や用途を問わず設計にとって「環境」は避けられないテーマ、町家の中で何気ない風の流れにも敏感になり、またそれを仕組みとして理解したいという。都会に居ながらどれだけ自然を取り込めるか、庭の存在が都市住居としての町家に不可欠という。明るさへの影響は残念でも、前栽がある限り、堀川通りのオフィスビルさえ幹線道路からの遮蔽になっているのが現実的な評価という。息子さんと一緒にめだかと水草と川えびの小さなビオトープを庭で楽しみながら、「ゲンカンニワの波板の屋根をはずすことが次の課題です」。
 妻君はこの春から京都市景観・まちづくりセンターに勤められ、ますます多くの町家や住まい手と関わられることだろう。「家族でここに住む意味は何だろう、それが大きいことは間違い無いのだけれど」。自問された折には、家族のあり様をつぶさに考えた時に、町家そのものがそれなりの存在になっていることを感じることが出来た。

2008.11.1