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京町家再生研究会

路地奥という場所  ―中京区・Yd邸

丹羽 結花(再生研究会幹事)
  表通りから一歩路地へと入る。十数軒の町家が向かい合わせに建ち並ぶ中を数十メートル進んでいく。一丁街区のちょうど真ん中あたり、最も奥深いところにYd邸がある。1列3室の基本型というだけではなく、出格子、土間の通り庭、火袋、中の間の板戸に隠れた急な階段などが普通に存在している典型的な町家である。結婚するまでこの家で育った次女にあたる方が引き継ぎ、再生に取り組んでいる。

Yd邸通り庭
Yd邸通り庭
 長年住み続けてきた高齢のご両親が相次いで他界。築80年の上、近代の手を入れていなかった町家は、看病や入退院の日々が過ぎ、人が住まなくなってしまうと更に傷みがひどくなった。風を通し、家具や道具を磨くなど、毎日こまめに手入れしていたおかあさまのおかげで生き続けてきたのだろう。年月を経て大事にされてきた道具がすっぽりと収まる場所はやはり年月を経た町家しかない。両親に続いて家までなくなってしまうのは喪失感が大きすぎる。とりあえず地震が起きても壊れてしまわない、大勢が集まっても安心して使えるような家にしたい。そのような思いを胸に作事組に相談したところ「元に戻せますよ」という頼もしい言葉が返ってきた。

 大切なものを管理する場所。家族をはじめ、親類が思い出したときに集まることのできる場所。それだけではなく、町家に関心のある人たちを受け容れる場所にもしてみたい。観光客を泊めるつもりはない。「これから町家に住みたい」「町家での暮らしを体験したい」というような関心の深い人に生活をしてもらうという、居住体験が理想だ。
 1ヶ月余りという工期だったが、ほぼすべての工程が入る、フルコースの工事となった。沈んでいた柱のジャッキアップと傾きの立ち起こしを交互に行う。微妙で技術の要る作業を経て、傾斜していた床が水平になり、家全体の傾きは元に戻った。時には自ら作業に加わった。大工さんの苦労や仕事の仕方を理解することもでき、貴重な体験だったという。唯一残念だったのは、大事にしていた家具の一つが、手違いで心ない洗いにかけられて、長年培ってきた艶を失ってしまったことだ。修復の手当てをもってしても、経年の艶は取り戻せないという。
 お話の中で常に「ご近所さん」が登場する。今回の再生において真剣に考えられたのが路地という場所である。そこには様々な人たちが住んでいる。そもそも直すきかっけも老朽化や地震で壊れて「ご近所さんの迷惑になるといけない」という気持ちからだった。ご両親の病気などで家が空きがちになったときから、ご近所さんは今後どうなるのか、気になっていたに違いない。ちょっとした不安は一方的に膨らむ。家がどんどん傷んでしまったように、放置しておくことが最も危険なのだ。そこで「今度どういうことをするのか」なるべく状況をオープンにして知らせ、「どうでしたか」と様子を確認してきた。

 工事完了後、音や土埃で最も迷惑をかけたお宅と組長さんらを招き、食事をしながらお礼と今後の計画などを伝え、意見も求めた。話題はお祭りの苦労話にも及ぶ。思わぬおまけもあった。住民のリクリエーションがしばらく途絶えていたこともあり「こうやってみんなでしゃべるのもいいなあ」という声があがった。その後昼間に他のご近所さんにも、お茶とお菓子を用意して「ご自由にご覧下さい」という機会を設けた。
 短期貸出しによる居住体験についても「それならどうぞ」と一応の理解を得たが、それでも「変な人との見分けがつかへんしねえ」。見知らぬ人が出入りすることは、ご近所さんにとって最も不安なことなのだ。そこで利用者への案内には路地で暮らすためのマナーをきちんと解説することにした。「路地は私道です。行き会う人とは笑顔で挨拶を交わしたいものです。尋ねられたら、Ydさんのお宅へ行きます、と答えましょう。」また、決まった人が出入りするならば、ご近所さんも安心だろう。住まいとしてもできるだけ人が居る方がよい。そこで平日には知り合いの方に仏画教室を主催してもらうことも考えている。
 密集して住んできた中で育まれてきた知恵を新しい試みの中で駆使しておられることがよくわかる。再生を決心してから実行に移るまで、体験を通して得た知識や人々からのアドバイスなどを参考にしながら、ゆっくりとした、着実な挑戦が続く。ご近所さんの理解と譲歩を得ながら、お互いが住みやすい場所になるように。そしてご両親から引き継いできた愛着のある家やものを生活の中で大事にしていけるように。路地でのふるまいをはじめ、生活の根底にあるものを学ぶ場所としてこの町家は生まれ変わりつつある。
 再生には地域の人たちの協力が不可欠であり、お互いが理解していくためには地道なコミュニケーションが必要なのだ。再生活動に関わるとき、肝に銘じておかなければならない。
2008.3.1