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京町家再生研究会

家族の歴史を写すもの ─上京区・井上邸

内田康博(京町家再生研究会幹事)

外観(写真:内田康博)
 今回は、井上邸の改修工事途中の現場を訪問させていただき、現場の打合せに来られた奥様からお話をお聞きしました。敷地北側の道路に面して塀が建ち、門をくぐると庭を挟んで玄関がみえます。うなぎの寝床の一般的な京町家とはちがい、土間のトオリニワを持たず、1、2階とも中廊下があって、柱の下には土台がまわっています。井上邸は大正15年、亡くなられたご主人が生まれた年に、ご主人のお父さんが建てられたとのこと。施工は竹中工務店です。
 たまたま奥様が京町家作事組の前事務局長の田中さんのお姉さんと同級生で、昨年の同窓会で出会ったときにこの家のお話が出て、田中さんが訪問することになり、改修の設計と施工を京町家作事組でさせていただくことになりました。
 訪問してみると、南に面する庭から床下に水が入り、レンガ積みの基礎にかなりの不同沈下が見られ、土台も腐食し、1階の床面がはっきりわかるほど傾いていたそうです。また、柱もあちこちの方向に傾いて、鴨居のレベルで最大60ミリほども傾いている柱もあったとのこと。まずは排水経路の確保と基礎、土台のやりなおし、床や柱の傾きの修整をし、あわせて、洗面・浴室・トイレのプランニング変更と、台所への採光の確保(トップライトの新設)が主な計画でした。その他の和室は出来るだけ元の状態へ戻すことを優先し、ご主人の実家から持ち込まれた大量のお茶の道具を効率的に収納するための収納棚を押入れなどを利用して計画しています。
 奥様のお話では、バブルのころは敷地の南側に大きなビルが建つことが予想され、もしそうなれば南側の庭の採光が望めなくなるので、こちらもビルを建てるしかないかと考えておられたとのことでしたが、幸いビルは建たず、それならこちらも家を直して住むことにしようかと思い直されたそうです。そう考えて、あちこちに相談するうちに作事組との出会いがあり、計画・施工と進みました。その話し合いのなかで、次第にこの家の魅力を見直すようになってきたとのこと。洗われて面目を一新した古い材が、実は貴重な材であることを知り、床下は水がまわっていたけれども屋根からの雨漏りはほとんどなく、あちこち補修の手は入っていても大きな改造なしに、大切に維持されていたことなどから、ご主人のお父さんが、ご主人が生まれた年に作ったこの家に込めた思いや、それを受け継いだご主人がこの家を大切にされてきた気持ちが、今回の改修を通じて伝わってくるような気がするといわれていました。奥様の息子さん家族もこの家の改修には賛成で、定年になったら帰ってくるといわれているそうです。みんなこの家が好きだったのだと再確認されたようです。

座敷から南庭をみる(写真:内田康博)
 住み心地についてお聞きしたら、冬は寒かったけれども、夏はとても涼しくて気持ちがよかったそうです。今でも夏になると子供たちが孫を連れて帰ってきて、みんなで畳の上に網代を広げて寝るのを年中行事として楽しんでいるそうです。南北の建具を開け放って、蚊帳をつってその中で寝るのは気持ちよかったと笑顔でおっしゃっていました。ただ、冷房に慣れたいまは、やっぱりすこし暑いそうです。
 奥様は工事中は近所に仮住まいをして、毎日のように現場に足を運ばれているとのこと。工事を担当されている荒木工務店の会長をはじめとして、現場監督から若い大工さんまで、家族のようにまとまってしっかり工事を進めてくれて、設計監理にあたっているクカニアの担当者も毎週の打合せとフィードバックがあり、家を直すことにして、本当によかったといわれていました。
 構造の改修と水周りのプランニング以外に今回特に工夫したことは、先祖から受け継ぎ、ご主人のお母さんが大切にされていた大量の茶道具の収納でした。それぞれ箱入りで、箱書きには濃尾大地震に遭って、焼け跡から掘り出した経緯などが記録されているなど、家族の歴史を再確認し、その大切さを再認識されているようでした。家の改修も、道具の収納の設えも、先代の気持ちを受け継ぎ、次代にいかに引き継ぐかを考えてのことでした。家は家族や道具の入れ物であると同時に、家族とその歴史を写すものでもあることを感じました。

2006.5.1