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京町家情報センター


(7) 窓は間戸だった
 窓は英語でwindow(ウインドー)。これは「wind+ow」で、風穴を開けるの意味。石造りの壁に、通風のための必要最小限の穴を穿(うが)つ。
 それに対して日本語の「まど」は間戸。間とは柱と柱の間のことなので、まどとは柱と柱の間に戸を立てる、という意味になる。
 神様の移動の仕方に2種類あって、深い森から水平移動する神様と、天から垂直に降りてくる神様があるという話を聞いたことがある。
 西洋の神様は水平移動で、日本の神様は垂直移動のようだ。西洋で水平移動で人間に近づいてくるのは、神様だけではなく邪悪なものもやってくる。従って最低限の大きさで穴を作っておかねばならない。西洋の窓辺には妖精がたたずんでいるという。
 一方日本の神様は、磐座(いわくら)などの依代(よりしろ)に降りてくる。日本人はようこそお越しくださいました、どうぞどうぞ、と間戸を開け放って迎え入れた。もちろん温暖な気候風土と、稲作中心の農耕民族であることが、大きく関係しているのであろうが、ずっと昔からすぐ最近まで、大部分の日本人は自然を取り込んだ生活をしていた。それを最新の住宅は全く忘れてしまったようだ。
 高気密、高断熱で外界と遮断して、換気には24時間換気扇を回すことで対応する。内部のエネルギー効率がいいからだという。これでは神様を迎え入れる余地がない。
 超高層マンションにいたっては、降りてきた神様は、下の階にたどり着くのに、何層ものコンクリートを通らねばならない。これではいくら神様といえ、「行くの、やめとこ」となってしまう。
 どんなに技術が発達しても、どんなに人工的に快適な環境が作れるようになっても、それらを成立させている大本は、太陽が照り、風が吹き、雨が降る自然界なのだ。
自然から見れば、そんな技術など、ほんとうにちっぽけなものに過ぎない。もう一度、間戸を開け放って、自然とともに生活することを取り戻さないと、日本人は神様から見放されてしまう。

(2011.7.17京都新聞掲載)