• 京町家net ホーム
  • サイトマップ
  • アクセス・お問い合わせ
京町家情報センター


(5) お客さんを迎える
 住まいとしての機能の中で、お客さんを迎え入れるというのは、非常に大切な要素になる。人類のごく初期の住居でも、火の周りにはお客の場所があった。
 また家でお祭りする神様にも、先祖の神様と、よそから来る客人(まろうど)神があって、外から来る客人神は福を持ってくるものとされている。かつて外部から来るお客は、自分たちの命にかかわるような新しい知識や情報をもたらしてくれ、それが生命・財産の保全や福をもたらしてくれた。
 現在では、情報はインターネットやテレビなどで簡単に手に入るし、携帯電話によって常に連絡が取れるから、家にお客を迎えること自体が少なく、せいぜい身近な友人を気軽に呼ぶ程度になった。
 しかし出会って会話することで、インターネットで得られる情報とは桁違いに多量の有益な情報の交換をすることができる。
 今は人と出会うことのほとんどないような、独り暮らしの人が多いと聞く。しかし、それは社会性をもった動物としての人間の姿に反することで、孤独な状況に陥りやすい情報化社会だからこそ、人と人が直接会うことがより大切になってくる。その装置の一つとして、家の玄関がある。
 玄関は一般的に、靴をぬいで一段上がるようになっている。ここで問題になるのは、お客を迎えるにしても、見送るにしても、突っ立ったままでは、家の人がお客を見下ろすことになり、「大切に」という思いが形に表れないことだ。
 伝統的な日本家屋の場合、玄関は畳敷きなので、床に膝をつくことが自然に行われ、お迎えしたり見送るときに、家の人間の視線がお客様を見上げるようになり、「大切に」という思いがお客にも伝わりやすい(たとえ大切に思っていなくても、お客は丁寧に扱われた感じがするし、実際にそういう動作をすることで、丁寧にお見送りする気持ちになる) 畳敷きの玄関なんて、古い形だからと見捨てるのではなく、人の交流の大切さを確保するための、巧妙に仕掛けられた装置として、見直されていいのではないか。
(2011.7.3京都新聞掲載)