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京町家情報センター


(4) トイレは語る
 昨年は「トイレの神様」という歌が評判になったが、トイレを本当にちゃんと作れれば一人前だ。
 建築に興味を持つ人たちの中に、隠れトイレ評論家が結構いる。なぜ、トイレがそんなに重要なのか。それは、建築の内部空間に要求されるすべてがトイレに集約されて表現されるからだ。
 設備面も、給排水もあれば電気設備も必要だ。ある意味、肌をあらわにする場所なので、それなりの内部空間の設定が必要になる。例えば床の材料は水に対して弱いものではいけない。かといって硬く冷たいものでは困る。
 更に消臭にも配慮されたものであればなおいい。換気も考慮が必要だ。人によってはここを書斎として(?)使う人もいるようだ。その場合はそのようなしつらえが必要になる。
 もっとも、私の場合は、究極の気持ちいいトイレは「雉(きじ)撃ち」だと思っているので、自然に開けたトイレを目指している。(時々これで失敗もするが。あるお宅のトイレの改修で、きれいな庭をよく見ることのできる大き目の窓を作った。もちろん、外からはのぞかれる心配のない位置であることを確認した。「明るくっていいですねえ。」と言ってもらってたのに、次に行った時にはしっかり厚手のカーテンがかかってた!)
 そして老齢期に入り体力が衰えてくると、這(は)ってでもここに自力でたどり着けることが、どれだけ偉大なことか思い知らされることになる。そのときは最高に心地いい場所であってほしい。
 少し前までは「大・小」を分別収集できるようになっていて、「大」は熟成させて、「小」は速効性の肥料として使っていた。エコロジカルなサイクルの重要な役目を担っていたわけだ。
 そのころのトイレは、夜行くのが怖かった。何かいる!お尻をペロッとなでられるのと違うやろか。異界とも通じる場所だった。
 今の快適なトイレでさえも、「それはそれはきれいな女神様」がいるのだから、間違いない。あの小さな空間にこれだけの役割を持っているトイレ、おろそかにはできない。
(2011.6.26京都新聞掲載)