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京町家情報センター
京町家ゲストハウス&サロン京都月と

聞き手:京町家情報センター 城幸央

 岡崎公園にも近い左京区聖護院にある家族から受け継いだ京都の家をどうしていくか。東京で暮らされていた山内マヤコさんはゲストハウスとして活用し、この家を人が集まる場所として大切に繋いでおられる。

■この京町家のいきさつを教えてください。
 元々は明治に建った旅籠だったと聞いている。曽祖父が借家としていたが、祖父母が昭和40年程に暮らし始めたのがこの家の始まり。11部屋あり広かったので、祖父母以外にも芸術家や学生など色々な人が間借りしていた下宿屋だった。私は東京住まいだったが、小さい時に祖父母の家として遊びに来た時には、いつも知らない人がいて不思議なおばあちゃんちだったことを覚えている。昭和55年頃に祖父が亡くなってからも、京都大学海外留学生を受け入れる山内ハウスという名前で今でいうシェアハウスをやっていた。祖母は無邪気な人柄で、海外留学生といつも楽しそうだった。その後、祖母が亡くなり父がここを繋ぎ、その父も7年前に亡くなり「この家をどうするか」となり、私がここへ来て一人荷物の整理をしている中で以前の記憶も蘇ってきて「何で今こんなにシーンとしているのだろう」と思い始めた。貸すことや共同で活用することも考えたが、昔のままで残していきたいとも思い、そうこうするうちに自分でやってみようとなった。父とも交流のあった松井薫さんと知り合い、改修の相談も始めた。今までこの家も経験してきた色々な人が集まる場所として、シェアハウス・シェアオフィスなどの選択肢の中から、ゲストハウスとしてやっていくことにした。

■営業されて1年間経つそうですが、いかがでしょうか。
 現在は母が東京にいることもあり、東京と京都を行き来し生活しながら、ゲストハウスの運営もやっている。今まで東京で仕事をしていたので、その関係を断ち切るのではなく、東京へ行く際はゲストハウスを宣伝し、東京の方には町家を知ってもらうきっかけとなっていただいていると思う。東京と行き来することで、ゲストハウスを客観的に見れて改善点が見えてきたりすることも大切だと思っている。4月で1年営業して、やっと一つの流れが見えてきたと思う。今まで宿泊業の仕事経験がないままやったので、1年間は毎回ドキドキしながらやっていた。おかげさまで、日本も海外の方もたくさん来ていただき、「古い木造の家に住んでみたい」「町家・日本を体験したい」などという方が多いようだ。畳に布団ですが、海外の方でもきちんと布団を畳んでいかれる方が多く、これもこういう空間だからなのかなということも思う。海外のお客さんとお抹茶を飲んだりと、日本を体験したい方がここを選んで来てくれているようだ。着物も着るようにして皆さんに喜んで頂くようにしている。家族連れで来られるお客さんもおられ、お子さんに畳の部屋の経験をさせたいと聞いたり、お風呂に皆で入られて歌われているのを聴くと、一人で荷物整理していた頃を思い良かったなと思う。テレビも置いていないし、サロンスペースで夜中までスタッフと話し込むお客さんもたまにおられますが、ほとんどの方が22時には静かに寝られているようだ。

■実際に住んで・暮らしてみていかがですか?
 元々祖父母や父が住んでいたので、そのことを思い出すことが多々ある。「ああ、祖母は一人でここを歩いてたんだ。危なかっただろうな」、ふと寂しく感じた時に「父もここでこんな思いを持っていたのかな」、お客さんと会話している時も「父が生きていれば父も参加したくなったかな」とか、この受け継いだ家を通して家族のことを思い出すことが増えた。やはり町家は理にかなった造りをしているんだろうなということも感じる。特に夏は涼しい。冬は寒かったが、季節を意識するようになった。町家で暮らすことで、自分の感受性も豊かになった気がする。

 今回、山内さんにお話しをお伺いし、元々たくさんの人が暮らしてきて、この家自身もきっと色々な経験をしてきたのだろうなということを感じた。山内さん自身も、家族が大切にしてきたこの家との思い出・空気を大切にされ、継いでいかれている。ゲストハウスという形での継承、この家にあったとても良いケースだなと感じた。
「京町家ゲストハウス&サロン京都月と」https://tsukito.jp/

< 京町家情報センター事務局 城幸央 >

2018.5.1